椎葉山仙人

灯りが消え 人影も絶えて数十年・・・

廃屋が朽ちていくのは早いです

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仙人の棚田の先駆者として活躍したであろう人々の・・・

往時の 大家族で賑わっていた頃の面影は今はなく・・・

庭先に立つ梨の木は その頃の盛況を物語るように今年も梨の花を開かせています

子供の頃にこの梨の木になったナシを求めて 悪童たちが群がって 老爺から追っかけられたことが懐かしく思い起こされて・・・ 


そこで 一句

   廃屋の  盛衰しのぶ  梨の花    (駄作)



(^o^)/   (^o^)   (^o^)/    (^o^)

水路開設記念碑

平成元年にポリホースに改良された時に古文書を見つけて記録したものです

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記念碑には慶応4年と記されています

総工費  39円 ・・・ 現在の貨幣価値ではいくらになるやら・・・

先人たちの努力によって開設された水路・・ 総延長は4キロあまり・・・

これの開通によって開田が進められて 旧態依然とした焼畑農業の雑穀食生活からは脱皮したが それでも大家族の胃袋を満たすまでには至らず、ひえ・あわ・とうもろこしなどの雑穀に米が交じる程度の食生活でした
(当時は 米は南郷地区の神門から駄賃付けによって持ち込まれる貴重品でした)

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開設当時、地堀りの水路は途中でろ水が多く また台風や豪雨による被害などで その修理作業は毎年毎年過酷なものでした

そんな重労働を回避するために平成元年にポリホースに改良したことから
仙人の棚田の水事情は一段と豊富になりました



そんな歴史に想いを馳せながら・・・

まだまだ俺が・・・ と

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このレンゲソウも満開を前にすき込まれそうです

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暇を見つけて展望台まで登ってみました

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咲きほこった山桜が春霞に霞んで見えました

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ちょくちょくブログに出てきている孫の卒業式も終わって・・・

4月からはいよいよ中学生です
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03/15: 木蓮物語

 ポカポカ陽気に誘われて 咲き始めた桜をバックに今日もゲートボールに集まって・・・

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コロナ対策はバッチリと 密にならないようにと・・・

マスクもしっかりと・・・

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いつも集まるメンバーでワイワイがやがやと・・・にぎやかです

そんなゲートボール場にいつ頃からか猫が住み着いて・・・

死んでいるのではありません  「早く昼食にならんかなー・・」と

ご馳走のおねだりの待ち時間中の昼寝です

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ヒヨドリも暖を求めてか・・  エサをさがしてか

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ゲートボールの騒動をよそにみかんのお余りをちゃっかりと失敬して・・・

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和やかな風景です

  (^o^) (*^^*)  (^o^) (*^^*)  (^o^)  (*^^*) (^o^)

今どき どこからみても目につくのが於久さんの庭の木蓮です

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ゲートボール場に近いので昼食の後に徘徊してみると木蓮の花が満開です。

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花が上向きに咲いているところから「木蓮」という名前になったとか・・・

木蓮の花言葉は 「自然への愛」 「持続性」とか

庭先にしばしたたずんで見惚れていると・・・

当家の主婦のK子さんが出てきての会話の中で・・・

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「この木蓮には数々の思い出があっとよねー」  と

長男が松尾小学校に入学するときの記念樹にもらったものよ・・・

長男は 体格は良い方だったけど それでも重過ぎるような大きな苗木を 担いで帰ってきよるのをみて 途中まで加勢にいって持ち帰り 親子3人で庭先に植えたものでした

昭和59年?の春  (ピッカピカの1年生だったでしょうね) ?(^o^)/

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あれから30数年・・・

於久家の歴史を見つめながら 毎年この季節になればこんなに見事な花を見せてくれながら大木になりました

そんな中で忘れがたい思い出は・・・

平成19年に主人が68歳で他界したときのことです

当時はまだ みんながそう願っていたように

「俺が死んだときの葬式はこの家から出してほしい」

と いわれていたので 自宅葬で葬儀を行いました

その しめやかに葬送出棺するときの庭先に この花が満開でした

涙目で見上げて 霞んで見えたけど・・・ きれいでした  と

平成19年3月10日のことでした

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あれから14年・・・  この花が咲くたびに主人を思い出すと・・・

花を愛でる人は それぞれに忘れがたい思い出を持っているんだなー
 
と・・・ うるうるの物語でした

 

 (^o^)  (*^^*)  (^o^) (*^^*)  (^o^)  (*^^*) (^o^) 

話の終わりに・・・  ぼつぼつゲートボールでもして遊ばんね

と誘ってみたけれど・・・ まだまだ現役のホームヘルパーさん・・・

「そのうちにねー」  とやんわりと断られました

・・・でしょうね  孫たちに囲まれているとはいえ まだまだ○○歳の ・・・ ですからねー




 未来に残そう!ひなたの棚田遺産募集について

ひなたの棚田遺産の募集について
宮崎県内の棚田で、次世代に引き継いでいきたい棚田や、棚田の保全や地域振興の取組が展開されている優れた棚田を「ひなたの棚田遺産」として推薦してみませんか?

宮崎県では、次世代に引き継いでいきたい棚田や、棚田の保全や地域振興の取組が展開されている優れた棚田を「ひなたの棚田遺産」として認定し、パンフレット等により、地域の取組を情報発信することで、棚田地域への訪問者を増やし、県内の棚田地域の振興を図りたいと考えております。
皆様のご応募をお待ちしております。

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 昨年頃に県が 後世に残したい 里山の景観や 環境を守り 次世代に残したい棚田などを公募するという募集に 棚田の写真を何枚か添えて応募したところ・・・
「ひなたの棚田遺産認定」に選ばれました

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3月8日に 本来なら県庁に行って知事さんから直接認定書をいただくところだったのがコロナ禍で・・・ 

ということで役場で伝達をお受けしました

先人たちが長い歴史の時代・時代の中でコツコツと積み上げてきたであろう

苦労の足跡が報われた・・・ と 感慨ひとしおです

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この認定を励みに棚田保存に邁進したいと・・・

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思い起こせば  椎葉山仙人のブログとして ・・・

試行錯誤しながらも 2010年6月18日に初めて立ち上げて・・・

その時の最初の写真が 下松尾の棚田写真でした

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以来  棚田の四季折々を紹介しながら・・・

なんとか10年間も続けてこられたのは 多くの方々からのコメントやお電話・

お会いした方々からの励ましの言葉などに背中を押されながら来られたような気がします

そんな中で 「椎葉のマチュピチュ」の言葉が定着し・・・

いつ頃からか「仙人の棚田」と呼ばれるようになったのも・・・・

そして数年前には対山に展望台まで建設していただいたのも・・・

しいば山仙人ブログが少しは 「縁の下の力・・・」  になったのではないかと

ひそかに自負しているところです


自慢話に聞こえたなら ごめんください

これからもコメントで叱咤激励をお願いいたします






いよいよ3月に入りました


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松尾地域で毎年一番早く咲く山桜が3分咲きに・・・

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松尾小学校の通学路付近に咲いて子供たちの通学に花を添えています

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 *   (^o^)         (^o^)

そして1日から待ちに待った渓流釣り解禁です

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 ・・が  昨夏の台風・大雨で荒れた谷々は少雨の影響もあってカラ谷の様相です


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それでもようやく釣り竿を伸ばせるような所までたどり着いて・・・

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 4時から5時半までの夕間どきにやっと・・・

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水不足は魚の成長にも影響するのか・・・

型も小さく痩せていて 痛々しい感じです

今しばらく休止をすることも考えなくては・・・

まとまった雨がほしいところですねーー (*^^*)

木の芽起こしの雨・・・・  

三寒四温と 春の足音が早くなったようなこの頃です・・・


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菜園には 玉ねぎ  キャベツ  ブロッコリー  にんにく等々

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多種雑多な菜園です

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野菜も雑草も繁茂する季節です

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そうなると山仙人の仕事も忙しくなります

秋野菜の白菜を収穫した跡地に馬鈴薯の植え付けです。


畝の間隔を90センチと広めにとって・・・

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牛の恵みの有機堆肥をたっぷりと敷き込んで・・・

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株間は40センチくらいかなー

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家内と二人での共同作業しながら・・・

いつものことながら 意見の不一致で衝突・・ 
が 結局は彼女の意見を尊重して (押し切られて)

作つけ完了です

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我が家の6人家族の胃袋を満たすためには広めの菜園が必要です

  が・・まだまだ老夫婦の作業で

新鮮野菜の供給に貢献していると自負しながらがんばっています


プロフィール

  • 民俗学者柳田国男が椎葉を訪問したとき最初に足を踏み入れた大イチョウの里松尾が私の地区です ボケ防止にとパソコンをはじめてようやくブログまでたどり着きました。これから椎葉の四季を紹介していきますのでよろしく・・・

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