先人の知恵袋

現在、台風11号、12号が発生しています。皆さんは、台風にそれぞれアジア名があるというのをご存知ですか?
 
 気象庁では毎年1月1日以降、最も早く発生した台風を第1号とし、以後台風発生順に番号を付けています。
 
 しかし、全世界に通用する正式名称として、台風にはアジア名が存在するのです。
 
 これは、台風には従来、アメリカが英語の人の名前を付けていました。しかし、アメリカ風の人名は、日本やアジアの国々の人々にとっては、今一つ馴染みが薄く、そこで、アジア地域でも『我らの名前リストを作ろうではないか!』ということで作られたのです。
 
 アジア名は、世界気象機関(WMO)熱帯低気圧プログラムに属するアジア・太平洋14カ国で構成される台風委員会により決められました。
 
 台風委員会各国10個ずつ名前を提唱し、全部で140個の名前があります。この名前リストから順番に付けられ、最後の140番目の名前が付けられたあと、また一番最初の名前から順につけられていく…という風になっています。
 
 日本が提唱した名前は、全て星座の名前で、例えば天秤座の『テンビン』、ウサギ座の『ウサギ』、かじき座の『カジキ』などとなっています。

 
 ちなみに2011年に発生した台風1号は5月に発生しており、アジア名は『アイレー』この名前は、アメリカが提唱したもので、意味は『嵐』
 
 7月に各地に被害をもたらした台風6号のアジア名は『マーゴン』、これは香港が提唱した名前で、意味は山の名前で『馬の鞍』という意味です。
 
 そして、現在発生している台風11号は、ミクロネシアが提唱した『ナンマドル』意味は、『有名な遺跡の名前』、台風12号は、フィリピンが提唱した『タラス』、
『鋭さ』という意味を持ちます。
 
 アジア名を持っている台風、しかし、私達日本人にはやはり番号の方がしっくりくるような気がします。

 8月ももう1週間で終わろうとしています。来週からは、小中学生の新学期も始まり、本村では、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。
 
 今回の先人の知恵袋のコーナーは、椎葉村に今でも受継がれている『焼畑』についてです。先日、焼畑のことを調べようと椎葉村民俗芸能博物館に行ってきました。
 
 博物館の中には、村内の色々な民俗芸能が紹介されており、焼畑のことは2階に展示されていました。
 
 焼畑農業とは、耕耘・施肥を行わず、作物の栽培後に農地を一定期間放置して、地力を回復させるのが特徴です。
 
 本村は、他の地方と違って、四方を山に囲まれ、狩猟とヒエや蕎麦が主食で、その大部分は焼畑農業でした。
 
 椎葉では、焼畑のことを『ヤボ』または『コバ』と言います。秋の落葉の前に、来年焼こうとする場所の木を切りますが、木が太い場合は木に登って枝だけを切り落としていました。この作業を『木下ろし』といい、焼畑予定地を作ることを『ヤボキリ』と言います。
 
 ひと冬越して、7月から8月の天気の良い乾燥した日、『ヤボヤキ』が行われます。この時、山の神に御神酒を上げ、生き物に逃げるように、また無事に火入れがすむように祈り、『火入れの唱え言』を口にします。
 
 火は、斜面の上の方から付け、徐々に焼き降ろして行きます。両側を先に焼き、最後に下側に火を付けると火は消えます。この様にすると山火事にならないのだそうです。
 
 火入れをして、ヤボを全て焼き払った後、すぐに蕎麦の種を蒔きます。これは、蕎麦が種まきから収穫までの期間が短く、1年目に最適だからです。
 
 そして、9月下旬の秋のお彼岸の頃、満開に咲いた蕎麦の花で焼畑は白く彩られ、10月中旬には収穫です。焼畑で栽培された蕎麦は、粘りと香りがあり、焼畑の蕎麦にはつなぎがいりません。
 
 次の年の5月、今度はヒエを蒔きます。10月頃に『稗ちぎり』という穂刈り法で収穫を行います。刈り取られたヒエは、冬の間に乾燥して脱穀し、臼に入れて杵で搗いて殻をむきます。この時に歌われた唄が、本村を代表する民謡『ひえつき節』です。
 
 3年目にあずき、4年目に大豆を栽培した後、20年ほど放置し、地力の回復を待ちます。
 
 作障害をなくし、肥料も農薬も全く使わない焼畑農業。それはまさに、農耕文化の原点と言えるでしょう。そして、この先人の知恵は、自然に対する恐れや敬いの心と一緒に、今もなお、力強く椎葉の地に息づいています。

 今週土曜日は昼も夜もイベントづくしで1日中楽しく過ごせそうです。矢立高原フェスティバルでは、魚のつかみ取り大会もあります。
 
 そこで今回の先人の知恵は、魚のつかみ取りのコツ、おじいちゃんの生活の知恵をご紹介しましょう。
 
 まずは、構えです。足を広げ、腰を落としてしっかりと構えます。そして、岩場もしくは、水槽の隅に魚を追いやり、魚の逃げ場を奪い一気に両手で掴みます。捕まえたら袋に入れて、そこで初めて喜びましょう。掴んだ瞬間に喜んでしまうと、魚は手からすり抜けて、逃げてしまいますよ。
 
 つかみ取りで捕まえた魚はその場で焼いて食べると最高に美味しいですよね。これから先は、おばあちゃんの生活の知恵です。

 開いていない魚を焼く時には、爪楊枝などで小さな穴を数十か所あけて焼くと、皮が破けずに綺麗に焼けます。
 
 また、調理をしたり魚のつかみ取りをした後は、手が生臭くなってしまいます。このにおい、石鹸で洗ってもなかなか落ちません。そんな時は、手を洗った後、レモンで指先を丁寧にこすってみましょう。他に、アルカリ飲料水で手を洗うと臭いが取れるそうです。是非、試してみてください。

 昼間は蝉の鳴き声が、そして夜になると秋の訪れを感じさせるコオロギなどの虫の鳴き声を聞くようになりました。お盆が過ぎると椎葉では少しずつではありますが、秋の気配を感じるようになります。

 しかし、まだまだ昼間は暑いですね。今日は久しぶりにお天気も良くなり、蒸し暑い1日でした。夏休みやお盆休みを利用してご親戚やお知り合いと会われて楽しく過ごした方も多いと思いますが、遠方に住んでいる方とはなかなか会えないものです。

 昔、人々は1年を2期に分けて考えており、その始まりがお正月とお盆でした。人々は期の始まりに、贈答品を持って挨拶に行ったり、挨拶の集いに参加したりしていたそうです。それが今でもやりとりされる、お中元やお歳暮として定着しました。

 江戸時代の武家社会では、より盛んに行われていましたが、さすがに遠方のお宅には訪問することができないため、江戸時代の身分のある人々は飛脚便などを使って書状や贈り物を届けるようになりました。これらの習慣が明治6年に日本のハガキ郵便配達が始まったのを機に、遠方以外の方にも挨拶状を送るようになり、年賀状として定着しました。一方、暑中見舞いはがきを送る習慣が広まったのは、大正時代のようです。

 暑中見舞いは、梅雨明けから立秋までに出し、残暑見舞いは、立秋を過ぎてから遅くとも8月末までに出すものと言われています。夏の暑さの厳しい折、相手の体調を気遣うと共に、こちらの近況を伝え、自然に心通じる機会を与えてくれるものです。

 今では、パソコンや携帯電話が普及し、手軽に相手と話をしたり、また、手紙の代わりにメールでやりとりという方が多いのでしょうが、手書きの文字で書かれたハガキは心のこもった感じがして、やる方も相手のことを一層思い、もらう方も一層嬉しく感じるのではないでしょうか?
 
 今年の夏、再会が果たせなかったご親戚や友人のいる方は、手書きの残暑見舞いを出してみてはいかがでしょう?たった1枚のハガキが、遠く離れて頑張っている大切な人の元気の素になるはずです。

 花火のルーツをたどっていくと、古代の通信手段として使われた『のろし』へと行きつきます。
 
 日本へは、16世紀に火薬が伝えられましたが、この頃はまだ、火縄銃や闘いののろし等に使っただけでした。現在の様な遊びや鑑賞用の花火が登場したのは、江戸時代に入ってからです。
 
 日本で初めて花火を見たというのは、1589年7月に伊達政宗が鑑賞したという記録と、1613年8月に徳川家康が鑑賞したという記録が有名です。いずれにせよ、今の様な色鮮やかな打ち上げ花火ではなく、竹の筒から吹き出す『吹き出し花火』だったようです。徳川家康が花火見物をして間もなく、花火は一般に普及した様です。しかし、花火の流行と共に多発したのが、花火が原因による火災です。このことから、花火禁止令が数回にわたって発令され、花火を行う場所も限定されたといいます。
 
 現在の様に打ち上げ筒から火薬の力で玉を打ち上げる花火が登場したのは、1750年以降のことです。初期の打ち上げ花火は、現在の様な色彩豊かで明るい物ではなく、色の暗い物だったようです。
 
 それが明治期に入って劇的に変わります。きっかけは、西洋技術の導入でした。数々の火薬の配合法が生み出され、マッチに使われる塩素酸カリウムという薬剤が発明されて、色鮮やかに燃焼する花火が作られるようになりました。

 日本の花火は世界一と言われています。一発の花火に何色もの色が表現され、どこから見ても、真円に見える均整のとれた姿は、色の変化に乏しく、立体性に欠ける外国の花火とは比較にならないと言われます。
 
 日本の花火の優秀性は、花火が伝来して以来、改良に改良を重ねてきた花火師たちの努力と技術のたまものなのです。

 今年は、15日(月)に開催される尾向渓谷まつりでも花火の打ち上げが予定され、また20日(土)には、椎葉村花火大会も予定されています。
 
 今年の夏の素敵な想い出として、ご家庭でも花火大会でも花火を十分に楽しんでくださいね。

 今回は、花火を楽しむための大切なきまりについてお話しましょう。
 
 花火は、火薬類を燃焼・爆発させ、光、音、そして煙を発生させるものです。一般家庭で使用されるおもちゃ花火の火薬量は15g以下。気軽にできる花火なので、年齢を問わず人気ですが、反対に花火による事故も増えています。花火による事故で最も多いのが火傷。軽いものから衣服に火が移ってしまったことによる大火傷まで、夏の3ヶ月間に多く発生しています。
 
 また、好奇心旺盛な時期の子ども達に多いのが、花火を分解して火を付けることによる怪我や暴発の報告です。
 
 物事を安全に楽しむためには、なんでもまず準備が必要です。家庭で花火をする時に準備する物は、水の入ったバケツ、ゴミ袋、火を付けるためのローソクや蚊取り線香です。そして次の注意事項を守りましょう。

 1.花火に書いてある遊び方、警告・注意書きをよく読んで、必ず守りましょう。
 2.花火を人や家に向けたり、燃えやすい物のある場所で遊ばない。また衣服に火がつかないように、十分に注意しましょう。
 3.手持ちの筒もの花火は、持ち手の位置に気をつけましょう。
 4.風の強い時は、花火をしてはいけません。
 5.水を必ず用意しましょう。
 6.子どもは、大人と一緒に遊びましょう
 7.沢山の花火に一度に火を付けてはいけません
 8.正しい位置に正しい方法で、火を付けましょう。
 9.花火は途中で消えても、筒を絶対に覗いてはいけません。また、火を付ける時も筒の前に顔や手を出してはいけません。
 10.花火をポケットに入れてはいけません。
 11.大変危険なので、花火は絶対に分解しないようにしましょう。

 取り返しのつかない事故を起こさないよう、大人がしっかり見守り、子ども達に花火の使い方、防火方法を教えることがとても大切です。正しい使い方をして、心の残る大切な思い出にしましょう。


 夏休みも半分を過ぎました。小中学生の皆さんは、毎日何をして過ごしていますか?
 
 夏休みやお盆休みを利用して、村外に出ているご家族やご親戚が帰ってきている、又は、帰ってくるというご家庭も多いのではないでしょうか?
 
 夏の夜と言えば、花火。20日(土)には、本村においても『しいば花火大会』が開催される予定です。
 
 花火大会での花火は、打ち上げ花火ですが、家庭で楽しむことができる花火は、おもちゃ花火といいます。

 おもちゃ花火の中の手持ち花火は、大きく分けて2種類あります。
ひとつは、『すすき』といわれる手持ち花火で、火薬を紙や筒で包んであり、色の変化が楽しめるのが特徴です。
 もうひとつは、『スパーク』と言われる花火で、火薬が外側に出ている花火。煙が少なく、火花がぱちぱちと飛び散るのが特徴です。
 
 そして最近では、『カラーチェンジャー』と呼ばれる花火の色が様々に変化する手持ち花火も登場しました。
 
 最近では、おもちゃ花火も種類が豊富で、子どもだけでなく大人も十分楽しめますが、家庭での花火大会の締めは、やはり昔ながらの線香花火でしっとりと…が定番ではないでしょうか?
 
 線香花火は、打ち上げ花火の掛け声『鍵屋・玉屋』でお馴染みの江戸時代に活躍した花火師が作ったと言われています。
 
 江戸時代の俳諧選集 洛陽集には、葦やよしより、もう少し細い藁の先に火薬をつけた花火を香炉に立てて遊んでいる女性の様子が詠まれていますが、香炉や火鉢に立てた花火の格好が、仏壇に供えた線香に似ていることから、線香花火という名前が付いたといわれています。
 
 皆さんは、線香花火にも種類があるというのをご存知でしたか?
西日本で馴染み深いのが、『すぼて』と呼ばれるもので、先端は黒色、持ち手は藁でできている線香花火で、火を着けた後は、上向き45度に保つことで長く楽しめると言われています。反対に、東日本で馴染み深いのが『長手』と呼ばれるもので、こよりの様に全体が紙で作られており、こちらは、火を着けた後下向き45度に保つことで長く楽しめると言われています。皆さんも是非、お試しください。

 いくらおもちゃ花火という可愛らしい呼ばれ方をしていても、原料は火薬類でできています。遊ぶ時にきちんとしたきまりを守らないと、思わぬ事故に繋がります。
 
 では、次回のちょっとしたお話では、おもちゃ花火を楽しむための大切なきまりについてお話しましょう。

 皆さん、夏バテしていませんか?どうも体調が良くない、食欲がない…そんな話を最近よく聞きます。体調を崩すと、痛い口内炎ができませんか?今回は、そんな口内炎に良く効く、私の実家に伝わる先人の知恵をご紹介しましょう。
 
 私の実家では、口内炎ができて母に痛みを訴えると、市販の薬でも病院の薬でもなく、あるものを塗られていました。それは、今が旬のナスのヘタの黒焼きです。
 
 作り方は、まず、料理などでナスを使った時に出るナスのヘタのみを取っておき、天日で良く乾燥させます。その後、アルミホイルを敷いたフライパンなどで炭になるまでよく焼きます。炭になったら、そっととりだし、更によくすりつぶします。小瓶に入れて出来上がりです。
 
 このナスのヘタの黒焼きを口内炎に直接付けます。付けた瞬間は、目に涙がにじむほどしみます。しかし、しばらくすると…痛みが和らいでいるのに気付くはずです。
 
 1回つけただけで、口内炎に舌が触れても痛みを感じなくなり、2回目付けた時には、薄い膜の様なものができ、次の日には白かった部分に赤みが出て、後は治るだけ。
 
 調べてみると、ナスにはプロテアーゼインヒビターという物質が含まれ、炎症を鎮める効果があるそうです。口内炎以外にも、ヘタの黒焼きに塩を混ぜて歯ぐきに塗ると歯槽膿漏予防になると紹介されていました。
 
 そして、口内炎や歯ぐきにナスの黒焼きを付けるのは、江戸時代から伝わっている民間療法なのだそうです。
 
 私の母がどのようにしてそれを知ったのかは分かりませんが、きっと母も誰かに教わり、それを受け継いできたのだと思います。そして、私もまた、それを継いでいくのでしょう。

 夏休み中のイベント案内でも、夏祭りや花火大会のご案内が多くなりました。それぞれの地区でも、大規模ではないけど地区だけでの盆踊り大会などを計画しているのではないでしょうか?夏祭り・花火大会・盆踊りといえば、浴衣姿…最近では、あまり見かけなくなりましたが、この浴衣、先人の知恵が詰まった日本の夏にぴったりの着物なのです。
 
 まず浴衣の歴史をさかのぼって行くと、その起源は、平安時代の貴族たちが入浴時に来ていた『湯帷子(ゆかたびら)』に始まります。当時のお風呂は蒸し風呂が中心で、火傷を防ぐためと、また複数の人と入浴する機会があったため、裸を隠すために使われていました。つまり、湯殿で着る帷子だったのです。それが安土桃山時代には、湯あがりに来て、肌の水分を吸い取らせるバスローブの様な使い方をされ、更に時が過ぎ、一般庶民に広がったのは、江戸時代と言われています。その頃には、現在の銭湯に近い浮世風呂が考案され、湯船に裸で入る入浴形式になっていました。そこで、湯上りに浴衣を着て涼む習慣が浸透したのです。 
 
 浴衣は、他の着物とは違い、何枚も重ね着せず、そのままさらっと着ることができます。一枚の布のような浴衣を体に巻きつけて着るので、袖付けの下や胸元などの隙間から風が入って抜けていきやすい構造となっています。また古典的浴衣の定番カラーとなっている白地と紺地ですが、白地は熱を吸収させず、紺地は染料の藍の香に虫よけ効果があると言われています。 
 
 湯あがり後のくつろぎ着に、普段着、外出着、寝間着にと時代によって様々に姿を変えてきた浴衣。そして、日本人のどんな体系にも似合う先人の知恵が詰まった快適な夏の着物。
 
 今年の夏まつり・花火大会で着てみてはどうでしょう。着ている本人は勿論、それを見る周りの人の夏気分を、グッと盛り上げてくれるはずです。

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