椎葉山仙人
02/21: 一枚の写真が追憶させた絆
先ごろラインで仲間から古ーい1枚の写真が贈ってきました
さて・・・ 何時頃の写真だろうか???
Rhineで情報交換しながら・・・
小さい子供の年齢から推測して たしか昭和54年・1979年ごろの写真じゃがー―
45年も前の写真のようです
そこで 当時の様子を知るために 山仙人秘蔵の日記帳を引っ張り出してみることにしました
若いころからの日記帳が戸棚の中にずっしりと積まれています
探している内に見つかりました
1979年から3年連用の日記帳に記されていました
1979年3月22日の日記から・・・
「・・・k子が子供二人を連れて帰省した」
千葉県成田市に住んでいる末の妹が彼岸詣りかたがたの帰省でした
(子供をおんぶしている女性)
昭和39年・1964年に 父が脳梗塞で64歳で倒れて 依頼15年間の闘病生活中で諸塚の病院に入院中の父に 初めて曾孫を見せに来たものでした
(あの時に入院中の父を風呂に入れて背中を流してやったことを今でも覚えている) と・・
右の女性・・ 山仙人の2歳上の姉Sこです
スポーツマンで青年のころは砲丸投げでは県スポーツ大会まで出場したり・・・
ホノルルマラソンに出場したり、テニスに挑戦したりとスポーツウーマンでしたが・・・
この写真から10年後の1989年に乳がんに侵されて54歳で他界しました
左側の若者たち・・・
長男のМが東京農業大学の探検部に入っていたことから 山登りや川下りに明け暮れていたころで・・
友人3人を連れてきて、今日はボートで五ヶ瀬川下りをして、 明日は球磨川下りをする計画とのこと・・・
大学時代には休学までしてアマゾン川下りや海外協力隊までやらかしました
「娘よ」の歌詞ではないけれど・・・
「人にゃ言えない苦労もあった・・・」 時代を思い起こします
翌々日 25日午後6時40分 父が諸塚病院に入院中に他界・・・
葬式等々 当時の慌ただしい日々が書き綴ってありました
さて この日記帳・・・ 人に見せるものでもなし・・・
ぼつぼつ終活で焼却しょうか??? などと思いながらも・・・
踏ん切りがつかずにいます
さて・・・ 何時頃の写真だろうか???
Rhineで情報交換しながら・・・
小さい子供の年齢から推測して たしか昭和54年・1979年ごろの写真じゃがー―
45年も前の写真のようです
そこで 当時の様子を知るために 山仙人秘蔵の日記帳を引っ張り出してみることにしました
若いころからの日記帳が戸棚の中にずっしりと積まれています
探している内に見つかりました
1979年から3年連用の日記帳に記されていました
1979年3月22日の日記から・・・
「・・・k子が子供二人を連れて帰省した」
千葉県成田市に住んでいる末の妹が彼岸詣りかたがたの帰省でした
(子供をおんぶしている女性)
昭和39年・1964年に 父が脳梗塞で64歳で倒れて 依頼15年間の闘病生活中で諸塚の病院に入院中の父に 初めて曾孫を見せに来たものでした
(あの時に入院中の父を風呂に入れて背中を流してやったことを今でも覚えている) と・・
右の女性・・ 山仙人の2歳上の姉Sこです
スポーツマンで青年のころは砲丸投げでは県スポーツ大会まで出場したり・・・
ホノルルマラソンに出場したり、テニスに挑戦したりとスポーツウーマンでしたが・・・
この写真から10年後の1989年に乳がんに侵されて54歳で他界しました
左側の若者たち・・・
長男のМが東京農業大学の探検部に入っていたことから 山登りや川下りに明け暮れていたころで・・
友人3人を連れてきて、今日はボートで五ヶ瀬川下りをして、 明日は球磨川下りをする計画とのこと・・・
大学時代には休学までしてアマゾン川下りや海外協力隊までやらかしました
「娘よ」の歌詞ではないけれど・・・
「人にゃ言えない苦労もあった・・・」 時代を思い起こします
翌々日 25日午後6時40分 父が諸塚病院に入院中に他界・・・
葬式等々 当時の慌ただしい日々が書き綴ってありました
さて この日記帳・・・ 人に見せるものでもなし・・・
ぼつぼつ終活で焼却しょうか??? などと思いながらも・・・
踏ん切りがつかずにいます
02/09: 椎葉山仙人ブログの本 配本行脚
椎葉山仙人ブログの本を村内の各小中学校に寄贈することにして
今日(2月9日)は大河内小学校から不土野小学校を訪問しました
朝8時半に松尾の家を出発して桑の木原峠越で・・・
昨年の台風の爪痕も生々しい迂回路を延々と登っていけば・・・
復旧も進んではいるけれど まだまだ・・・
迂回路の難路を想定して軽トラで行ったのは正解でした。
大河内小学校に着いたのは10時・・・ 後期高齢者の運転と迂回路まわりで1時間30分もかかりました。
大河内の人たちは同じ村民でありながらこんな苦労をしながら役場や農協・病院に行っているのか と思うと・・・ 『能登半島地震災害にくらぶれば・・・』などと言わずに早急に復旧してほしいと感じた道中でした。
小学校では校長先生に快く対応していただき贈呈しておきました
大河内地区の友人知人たちにも訪問して・・・「大河内に来れるのはこれが最後かも・・・」などと冗談とも本音ともとれる言葉がポロリと・・・
握手をする手にも力が入り・・ ジーンとする場面も・・・
大河内地区を済ませて次は合戦原から飯干峠を越えて小崎から不土野へ・・・
ここも千メートル近い峠越です
不土野小学校へ
ちびっ子落語で好評の子供たちが 在校生が9名とか
ここでも校長先生 教頭先生に面会して贈呈・・・
どこの小学校にも大谷翔平から贈られたグローブが光っていました
桑の木原から 飯干峠 不土野峠と千メートル級の峠を越えての強行軍でしたが
昔々 村内を縦横に駆け巡っていた現役時代を思い出しながらの楽しい1日でした
米寿を迎えて思うこと
今日という日を目いっぱい楽しもう・・・
あしたは明日の風が吹くから・・・
今日(2月9日)は大河内小学校から不土野小学校を訪問しました
朝8時半に松尾の家を出発して桑の木原峠越で・・・
昨年の台風の爪痕も生々しい迂回路を延々と登っていけば・・・
復旧も進んではいるけれど まだまだ・・・
迂回路の難路を想定して軽トラで行ったのは正解でした。
大河内小学校に着いたのは10時・・・ 後期高齢者の運転と迂回路まわりで1時間30分もかかりました。
大河内の人たちは同じ村民でありながらこんな苦労をしながら役場や農協・病院に行っているのか と思うと・・・ 『能登半島地震災害にくらぶれば・・・』などと言わずに早急に復旧してほしいと感じた道中でした。
小学校では校長先生に快く対応していただき贈呈しておきました
大河内地区の友人知人たちにも訪問して・・・「大河内に来れるのはこれが最後かも・・・」などと冗談とも本音ともとれる言葉がポロリと・・・
握手をする手にも力が入り・・ ジーンとする場面も・・・
大河内地区を済ませて次は合戦原から飯干峠を越えて小崎から不土野へ・・・
ここも千メートル近い峠越です
不土野小学校へ
ちびっ子落語で好評の子供たちが 在校生が9名とか
ここでも校長先生 教頭先生に面会して贈呈・・・
どこの小学校にも大谷翔平から贈られたグローブが光っていました
桑の木原から 飯干峠 不土野峠と千メートル級の峠を越えての強行軍でしたが
昔々 村内を縦横に駆け巡っていた現役時代を思い出しながらの楽しい1日でした
米寿を迎えて思うこと
今日という日を目いっぱい楽しもう・・・
あしたは明日の風が吹くから・・・
02/01: 待望の椎葉山仙人ブログの本が完成しました
いつも集まるゲートボール場の蝋梅の花も開いて・・
付近には梅の花や菜の花も咲いて 春がそこまで来ていることを知らせています
昨年の12月28日の誕生日でついに米寿を迎えました
これを記念して2010年から13年間発信してきた椎葉山仙人ブログを本にまとめてみました
表表紙
裏表紙
めくってみれば・・・あんなこともあった・・・こんなこともあったな――
孫たちの成長の記録にもなったりして・・・
光陰矢の如し・・ を実感しています
これならパソコンやスマホを見れない人の目にも触れるかと・・・
200ページにまとめたので紙面の都合で写真も文章も、
皆さんからいただいたコメントなども もったいないけどカットせざるを得ませんでした
製本にあたっては熊本市の新進写真家 伊藤建太朗さんに編集していただいたのが良かったです
友人知人や村内の小中学校や役場・郵便局・病院・かてりえ・農協など皆さんの目に触れるところにおいてもらうつもりです
どこかで見かけたらページをめくってみて下さい
パソコンやスマホで見るなら
椎葉村ーー椎葉村民ブログーー 椎葉山仙人ーー
とタップすればブログで 本ではカットされている部分ものぞくことができます
これが締めくくり・・ではなく 新たなスタートラインととらえて踏み出して
あと12年・・・ 100歳を目指して新たなスタートです(>_<)!(^^)!
感想コメントをお聞かせいただければ励みになります
付近には梅の花や菜の花も咲いて 春がそこまで来ていることを知らせています
昨年の12月28日の誕生日でついに米寿を迎えました
これを記念して2010年から13年間発信してきた椎葉山仙人ブログを本にまとめてみました
表表紙
裏表紙
めくってみれば・・・あんなこともあった・・・こんなこともあったな――
孫たちの成長の記録にもなったりして・・・
光陰矢の如し・・ を実感しています
これならパソコンやスマホを見れない人の目にも触れるかと・・・
200ページにまとめたので紙面の都合で写真も文章も、
皆さんからいただいたコメントなども もったいないけどカットせざるを得ませんでした
製本にあたっては熊本市の新進写真家 伊藤建太朗さんに編集していただいたのが良かったです
友人知人や村内の小中学校や役場・郵便局・病院・かてりえ・農協など皆さんの目に触れるところにおいてもらうつもりです
どこかで見かけたらページをめくってみて下さい
パソコンやスマホで見るなら
椎葉村ーー椎葉村民ブログーー 椎葉山仙人ーー
とタップすればブログで 本ではカットされている部分ものぞくことができます
これが締めくくり・・ではなく 新たなスタートラインととらえて踏み出して
あと12年・・・ 100歳を目指して新たなスタートです(>_<)!(^^)!
感想コメントをお聞かせいただければ励みになります
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民俗学者柳田国男が椎葉を訪問したとき最初に足を踏み入れた大イチョウの里松尾が私の地区です ボケ防止にとパソコンをはじめてようやくブログまでたどり着きました。これから椎葉の四季を紹介していきますのでよろしく・・・
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