椎葉山仙人

盆トンボに癒されて・・・

盆トンボ  夕やけ雲に  群れて舞い

夕焼雲をバックに群れ舞う盆トンボ・・・

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酔い覚ましウォーキングで出会った一コマに癒されます

お盆が過ぎて朝夕はぐっとしのぎやすくなりました
夫婦で送り火を見つめながら・・・ あんなこともあった  こんなこともあったねと
昔話などするのも送り火の灯りのせいかも・・・

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いつもの酔い覚ましウォーキング  今日もカーブミラーの5本目まで・・・

が  秋の日は釣瓶落とし・・・
ちょっとコップを持つ時間が長すぎると・・・
すぐに宵闇が迫ってきてコースを短縮する羽目になります

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今日の日も目いっぱい楽しんだなあ  などと1日をふり返りながら・・

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宵闇の迫る帰路は急ぎ足です

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24/08/12


暑中お見舞い申し上げます

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少し遅れたけど・・・暑中見舞いをしたためて友人知人に送りました

もう八月・季節の移ろいは早いですね
 棚田周辺の雑草の繁茂も旺盛です 
酷暑の日中を避けて早朝に棚田の畔や土手草刈りなどをしています
米寿を迎えても「まだまだ精神年齢は・・」と強がって新たな趣味を二つはじめました 

その一は 書道ならぬ「習字教室」に入門して「かてりえ(図書館)」にかよっています
 筆を握ったのは小学生のころ以来です

その二は この歳まで触ったこともなかった 「花札」を始めました
 脳トレに最適です  ユーチューブで特訓中です

はじめた動機は単純です 暇を持て余している老未亡人のグループに誘われて・・

酷暑のなか 気の合う仲間たちとエアコンの効いた室で花札言葉を飛ばしあいながら
熱い戦いをしています

自評『熱しやすく冷めやすい性格』 
この二つの趣味がどこまで続けられるやら・?

米寿を迎えて思うこと
朝 気分よく目覚めたことに感謝しつつ
今日の日を目いっぱい楽しもう
   あしたは明日の風にまかせて・・・

 百歳まであと一二年・・・
お互いに健康管理に気をつけましょう

2024年 盛夏





24/08/04


炎天続き・・・夕立が欲しいのに・・・

暑中 お見舞い申し上げます
連日の炎天にへきえきしながら・・・

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今日は夕立が来そうな雲行きに・・・

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何時ものように晩酌 夕食を済ませて 7時・・・

夕立が来そうな雲行きに傘を持って  恒例の酔い覚ましウォーキングです

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一雨ほしいのに・・・それは無くて遠雷のみごろごろと・・・

まさかこのウォーキングステッキに落雷なんてことは無いだろうな ?

その時はそれまでだ―― と腹をくくっていつものコースを約2000歩歩いて・・・

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エスコートの愛犬が前に行ったり後ろに行ったり・・・

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今宵も夕立はなく傘を開くこともなく無事帰りつきました


24/08/04


ふるさとの橋物語り

松尾のシンボル的な存在の岩や戸発電所と橋・・・

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幼少のころから見慣れた風景ながら・・・
数々の思い出が詰まったこの風景を散策してみました

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百万円道路開設について椎葉村史をめくってみると・・・
県道開設で和田から開設が進んで、この区間は昭和7年2月から岩や戸―下椎葉間が着手されたと記されています

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橋の門柱には昭和8年竣工とありました
昭和11年生まれの山仙人が生まれる前に建設されたものです。
当時の設計としては斬新なデザインの橋が90年の歳月を耐えて・・・
今もそのままの威容です


当時の水力発電ブームに乗って耳川の川下から道路開設に合わせるように西郷発電所―塚原発電所―岩や戸発電所と建設されてきました

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岩や戸発電所の建設は昭和13年から17年1月に完成したと記されています
当初の発電量は25000キロワット・・ 
後に増築されて現在は50000キロワットとか

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岩や戸発電所には数え切れないほどの思い出やエピソードがあります
小学校低学年のころ 建設当初は人手による人海操業で地元の人たちが多く就業していたので その子弟たちは自由に発電所の中に入り込んで遊んだものでした

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地場産業のシイタケが最盛期のころは 発電所の地下のタービン室にかるい込んで,
タービンが回転する時の風を利用してシイタケを乾燥させることまでやっていた記憶があります
そのシイタケを職員の人たちが電熱コンロ(当時はそう言っていた)の上で焼いて塩をつけて食べていたものでした
また 当時は地元へのサービスとして発電所の裏の倉庫に精米機を設置していたので
集落の人たちはみんな精米に行ったものでした
中学生から青年期には 発電所の中庭で時たまに芝居や映画があって唯一の娯楽で
地域に密着した存在でした
が・・・現在は無人化されて頑丈な策に囲まれていて・・・
柵の外からのぞいては昔を懐かしんでいます

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道路開設から発電所建設で当時は郵便局から警察駐在所各種商店などが立ち並んでいてにぎわったものでしたが・・・

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2011年にバイパスが開通したことで寂しい商店街になってしまいました

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24/03/25


一枚の写真が追憶させた絆

先ごろラインで仲間から古ーい1枚の写真が贈ってきました

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さて・・・ 何時頃の写真だろうか???

Rhineで情報交換しながら・・・ 

小さい子供の年齢から推測して  たしか昭和54年・1979年ごろの写真じゃがー―
45年も前の写真のようです

そこで 当時の様子を知るために 山仙人秘蔵の日記帳を引っ張り出してみることにしました

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若いころからの日記帳が戸棚の中にずっしりと積まれています

探している内に見つかりました

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1979年から3年連用の日記帳に記されていました


1979年3月22日の日記から・・・

「・・・k子が子供二人を連れて帰省した」

千葉県成田市に住んでいる末の妹が彼岸詣りかたがたの帰省でした
(子供をおんぶしている女性)

昭和39年・1964年に 父が脳梗塞で64歳で倒れて 依頼15年間の闘病生活中で諸塚の病院に入院中の父に 初めて曾孫を見せに来たものでした
(あの時に入院中の父を風呂に入れて背中を流してやったことを今でも覚えている) と・・

右の女性・・ 山仙人の2歳上の姉Sこです

スポーツマンで青年のころは砲丸投げでは県スポーツ大会まで出場したり・・・

ホノルルマラソンに出場したり、テニスに挑戦したりとスポーツウーマンでしたが・・・

この写真から10年後の1989年に乳がんに侵されて54歳で他界しました


左側の若者たち・・・

長男のМが東京農業大学の探検部に入っていたことから 山登りや川下りに明け暮れていたころで・・

友人3人を連れてきて、今日はボートで五ヶ瀬川下りをして、 明日は球磨川下りをする計画とのこと・・・
大学時代には休学までしてアマゾン川下りや海外協力隊までやらかしました

「娘よ」の歌詞ではないけれど・・・ 

「人にゃ言えない苦労もあった・・・」 時代を思い起こします

翌々日 25日午後6時40分 父が諸塚病院に入院中に他界・・・

葬式等々 当時の慌ただしい日々が書き綴ってありました




さて この日記帳・・・  人に見せるものでもなし・・・

ぼつぼつ終活で焼却しょうか??? などと思いながらも・・・

踏ん切りがつかずにいます












24/02/21


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プロフィール

  • 民俗学者柳田国男が椎葉を訪問したとき最初に足を踏み入れた大イチョウの里松尾が私の地区です ボケ防止にとパソコンをはじめてようやくブログまでたどり着きました。これから椎葉の四季を紹介していきますのでよろしく・・・

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