先人の知恵袋

 今日は、秋分の日で国民の祝日です。
 
 秋分の日は、1948年 昭和23年に『祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日』として法律で制定されました。
 
 秋分の日は、祝日法の上では『秋分日』とされています。地球が秋分点を通過する日を秋分日とすることから、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づき、毎年2月1日に来年の秋分の日が閣議で決定され発表されます。

 ちなみに、来年2012年の秋分の日は、9月22日です。近年、秋分の日は23日が続いており、22日になるのは、1896年以来116年ぶりとなります。
 
 一般には、秋分の日を中心とした1週間を『秋彼岸』と言います。秋分・春分の3日前の日を『彼岸の入り』といい、3日後を『彼岸の明け』といい、その7日間を彼岸と言います。秋分・春分はその中間に位置するため『彼岸の中日』と呼ばれています。
 
 元々農村部では、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていました。しかし、仏教の浸透とともに秋分は『秋の彼岸』として祖先を供養する意味を持ち始めたと言われています。
 
 ところで、今日の秋分の日におはぎを食べたという方、多いのではないでしょうか?
もち米を炊いて周りにあんこをまぶした和菓子。『ぼたもち』と言ったり『おはぎ』と言ったりしますが、実は、食べる季節が違うだけで同じものです。
 
 春のお彼岸に食べるものを『ぼたもち』秋のお彼岸に食べるものを『おはぎ』と言います。また、おはぎやぼたもちに使われるあんこの材料である小豆は、収穫が秋。秋にとれた小豆は柔らかいので、そのまま粒あんにして『おはぎ』に、春になると小豆は硬くなるのでこし餡にして『ぼたもち』を作る。このことから、『おはぎは粒あん』、『ぼたもちはこしあん』という説もあるようですよ。


 今週末から10月上旬にかけては運動会などのスポーツイベントが多く開催されます。せっかくの運動会ですので、晴れて欲しいと願いますが、一方、秋の日差しは強いものです。日差しが強いと女性は日焼けが気になります。女性でなくても日焼け後の赤くなった肌がヒリヒリ痛むのは、辛いものです。
 
 そこで今回は、肌が焼けて痛い時に効果のある『先人の知恵』をご紹介しましょう。
 
 調べてみるとよく紹介されているのは、『紅茶のお風呂』。紅茶に含まれるタンニンなどの渋み成分に、炎症を鎮める働きがあるそうです。紅茶のお風呂は、紅茶のティーバッグを浴槽に浮かべて入ります。または、できるだけ濃く出したポット1杯の紅茶をお風呂に入れます。ただし、お湯が熱いと肌が痛いので、痛みを感じない程度のお湯にしましょう。紅茶を出した後のティーバッグがあったら、それを直接肌につけてひたひたとはたくのも、効果的です。肌のほてりや炎症が治まります。お茶には殺菌効果もあるので、ますます効果的です。
 
 他にも、スイカやメロンの皮も日焼けには効果があるそうです。スイカやメロンの皮を適当な大きさに切って、内側を肌にあて、円を描くようにクルクルマッサージします。スイカやメロンにはビタミンAやCがたっぷり含まれているので、紫外線で焼けた肌の回復に効果的です。皮を使ったマッサージは、終わったら軽くシャワーで流すようにしてください。
 
 先人たちは、身近にある材料で日焼け対策も行っていたのですね。

 ※ただし、効果には個人差があり、合わない方もいらっしゃる場合がありますので、ご了承ください。

 運動会・体育大会といえば、子ども達が主役!!この日のために残暑が厳しい中、一生懸命練習をしています。走るのが速い子もそうでない子も、団技が上手な子も苦手な子も、ダンスが好きな子も嫌いな子も、この日のために頑張っています。

 一方で、私たち大人が頑張る、保護者や地区の皆さんが参加する競技もありますね。この時は、普段運動不足の大人達が張り切ります。しかし、日頃の運動不足、イメージと現実のギャップで、転倒したり足をひねったり、筋肉や筋を痛めてしまうことも少なくはありません。

 どうして子ども達は走っても転んだりしないのに、大人は転んでしまうのでしょう。

 それは、脳が『若くて体が動いた』記憶を覚えていて、更に『体を俊敏に動かそう』とします。しかし、筋肉は若い頃と違い、脳の命令に『反応できない』のです。

 すると、足がもつれて転んだり、よけられるものがよけられなかったり、カーブが曲がりきれなかったりします。

 では、これを避けるにはどうしたらよいのでしょう。

 スポーツ指導者によると、普段からスポーツを行うことが一番・・・なのですが、そうもいかない私たちの生活。もっと短時間で何とかならないものでしょうか?

 その方法は、脳の記憶を新しくしてやることです。1回全力で走ったり、ジャンプしたりして、脳に体の記憶をリセットしてもらうことです。もっといい方法は、やはり事前トレーニング。そして本番では、自分の考える半分のパワーで頑張ることです。

 もちろん、入念なストレッチも忘れてはいけません。ふくらはぎ、太ももの表裏、アキレス腱を十分に伸ばします。そして、各関節をしっかり動かしておきましょう。

 せっかく楽しみにしていた運動会。怪我をしてしまい他の人の競技、子ども達の競技が見られなくなったら大変です。

 大人も子どもも、明日・明後日の体育祭、これからの運動会、怪我をせず元気に大いに楽しみましょう。

 

 今夜は十五夜です。
 
 旧暦の8月15日にあたる日は、秋のお月見 十五夜様。十五夜にはまん丸お月様が顔を出す…と思われがちですが、必ずしも満月になるわけではありません。
 
 しかし、今年2011年は、6年ぶりに満月となり、まん丸お月様が顔を出してくれます。
 
 月は、夜空で一番目立つ天体です。普通に目で見ても模様が分かります。

 今夜の月は満月ですので、日没と共に東の空に昇り、明け方西の空に沈みます。そして明日からは、約50分ずつ月の出るのが遅くなってきます。
 
 昔の人々は、様々な表情を見せる月に魅せられ、月に名前を付けました。

 月齢16日目は『十六夜』これは月が出てくるのをためらっている・いざよっているようだ

 月齢17日目は『立待月』これは更に遅いので、月が出てくるのをまだかまだかと立って待つ

 という様に、それぞれ月齢に月の名前があるのです。

 十五夜は、中秋の名月を鑑賞するほか、収穫期を前にして収穫を感謝する初穂祭としての意味合いがありました。そのため、お供え物には収穫に感謝する物を使います。『お月見団子』は、穀物の収穫に感謝し、米粉を丸めて作ります。月に見立てて丸いお団子ですが、地域によっては平たくしたり、中心をくぼませたりと様々です。
 
 そして9月頃に収穫される『芋』イモ類の収穫を祝う行事でもあるため、里芋やサツマイモなどをお供えします。このことから『芋名月』とも言われます。
 
 ススキは稲穂に似ている、又はススキの鋭い切り口が魔よけになると言われています。

皆さんは、季節ごとに行事を大事にしていますか?
 
 日々の忙しさに追われ、忘れてしまっていませんか?季節を肌でそして心で感じ、時には季節の風の中に身をおいて、ゆっくりとした時間を過ごすことは、忙しい現代の私達にとって、とても必要な事です。
 
 季節ごとの行事には、それぞれに先人の知恵と想いが詰まっています。その季節の行事を家族で行い、教える・伝える・教えられる・伝えられる…このお互いの気持ちを共有する事は、とても大切な事ではないでしょうか?
 
 さぁ、昼間の天気予報では、今夜のお天気は曇りもしくは、弱い雨が降るとなっていましたが、皆さん、お月様は見えていますか?お月様が顔を出していたら、日頃の忙しさをちょっとの間忘れて、ゆっくり眺めてみてください。皆さんには、何が住んでいる様に見えるのでしょう…。

 もし、お月様が見えていなかったら、まだかまだかと待ってみましょう。きっと、顔を出してくれますよ。

 九州山脈の中ほどに位置する本村は、険しい山々に囲まれ秘境と呼ばれ、耕作地が少なく、県内でも数少ない降雪地帯のため稲作に向かず、戦後しばらくまで焼畑による雑穀栽培や狩猟で生活をしていました。
 
 その暮らしの中から、風土色の濃い民謡や神楽などが多様に生み出されました。

 その中でもひえつき節は、全国区の民謡で、収穫した稗を食用に搗く時の労働歌です。
 
 現在歌われているひえつき節は、民謡として歌いやすいように、綺麗なメロディと歌詞に作り替えたもので、元々のひえつき節は、『正調 ひえつき節』といい、歌詞も歌い方も全然違うものなのだそうです。
 
 ひえつき節は、掛け合いで歌われ時代で変わったり、とんちの効いた歌上手によって次々に新しい歌詞が生み出されてきた労働歌。そんな歌詞のなかには、少し色っぽい物まであったようです。

 では、現在歌われているひえつき節の歌詞は、誰が作ったものなのでしょう。

 それは、『酒井繁一』さんです。南郷町で生まれた酒井さんは、現在の早稲田大学文学部に進学しました。しかし、経済不況で家業が傾き、やむなく休学して帰郷し、昭和2年諸塚村七ツ山小学校の代用教員として赴任します。そしてここで、村人から『ひえつき節』を聞かされ、歌の広場に出せるような新しい歌詞をと頼まれました。酒井さんは、夏休みに源平の恩讐を超えた恋物語の歌詞を書きあげ、友人に託し、復学のために再び上京。ところが、とうとう実家が倒産してしまい、昭和7年、やむなく一家をあげてブラジルに移住したのです。
 
 ブラジルでの移民生活は、アリ地獄のように苦しいものでした。ようやく暮らしが安定したと思ったら、今度は、第二次世界大戦が勃発。再び奈落の底へ突き落されました。
 
 そうして迎えた終戦後間もなくの正月、酒井さんが買い物の帰りに、サンパウロ市内の日本人街を歩いていると、日系移民の書店から聞き覚えのある調べが流れてきたのです。それは、懐かしい『ひえつき節』でした。しかも歌われているのは、自分がかつて作詞した源平の恋物語だったのです。

 「私は息をのみ、その場に思わず立ち止りました。まさしく自分の書いたあの時のあの詩だ。思わず胸が熱くいっぱいになって、涙が溢れて止まりませんでした。」

 後に、酒井さんは、その時の様子をこの様に語っています。

 生活様式が変わり、民謡が余り歌われなくなった現代。しかし、本村のひえつき節は、とてもよく耳にするとは思いませんか?それは、労働歌として歌われてきたひえつき節が新しい歌詞をもらったことで、ただの労働歌としてだけでなく、椎葉に残る恋物語を伝える役目を果たすことになったからではないでしょうか?
 
 明るくしなやかな節調で、歌詞もバラエティーに富んでいる。長いフレーズを一息で歌いきる自然で独特の息つぎは、山道を行き来し、傾斜面で作業をする日常と、深く関わり合っていると言われています。

 朝晩涼しくなり、日中の日差しは強いものの、秋を感じるようになりました。
秋になると、本村には美味しいものが溢れます。味覚の秋・食欲の秋。
 
 秋の山の幸と言えば、栗。今年の初栗、皆さんのお口にはもう入りましたか?

 栗は、美味しくて大好きだけど、栗の皮むきは厄介ですよね。
 
 そこで今回は、栗の皮の剥き方について、テレビで紹介されていた知恵をご紹介しましょう。これは、以前『ためしてガッテン』で紹介されていた方法です。

 まず、圧力鍋に栗がかぶるくらいの水の量を入れます。次に、セットし加熱します。圧力が十分になったら、それから10分程加熱し、火を止め自然減圧します。すると、渋皮もコロッと剥けるようになります。
 
 これはどうしてかというと、圧力鍋を使うと、栗の実と渋皮の間にあるわずかな空気が、急な加圧の後減圧されることによって一気にふくらみ、栗の実と渋皮の間に隙間を作るからだそうです。
 
 また、包丁をつかって栗の皮をむく時には、栗を軽く洗って熱湯に30分付けます。急ぐ場合は、沸騰したお湯に栗を入れ、再び沸騰してから2、3分茹でます。茹で汁を捨て、水につけて粗熱を冷ましてから剥き始めます。
 
 栗のざらざらした部分に包丁を入れ、とがった方へ向って引っ張ると鬼皮が簡単に剥けます。そしてその後、渋皮を剥きます。
 
 栗は滋養豊富で、低脂質のヘルシーなナッツです。料理するのはちょっと大変ですが、知恵を使って少しでも簡単に皮むきをして、美味しい季節の食べ物を味わいましょう。

 今回は、献血について、ちょっとしたお話をしましょう。

 まず、血液とは栄養や酸素の運搬、免疫など人間の生命を維持するために欠くことのできない機能を多く含む大切なものです。
 
 現在のところ、血液の機能を完全に代替できる手段は、存在しません。ですから、献血によって必要な血液を確保しなくてはならないのです。

 では、献血された血液はどのように利用されるのでしょう?

 献血された血液は、輸血用血液製剤と血液凝固因子製剤やアルブミン製剤などの血漿分画製剤として利用されます。献血の血液は、輸血だけに使われるのではなく、色々な病気治療にも役立てられているのです。

 皆さんは、私達人間の体にはどれくらいの血液が流れているかご存知ですか?
 
 人間の血液量は、体重の約13分の1、そのうち血液量の12%を献血しても医学的に問題ないと言われています。例えば、体重50キロの人の体には、3800mlの血液が流れており、そのうち採決可能な血液量は、450mlとなります。
 
 献血後の血液量は、水分を摂取することで、短時間で回復します。血液成分の回復は、成分によって異なり個人差もありますが、目安としては、血漿成分が約2日、血小板が約4日から5日、赤血球が約2週間から3週間です。
 
 健康な人であれば、献血による身体への影響はほとんどありません。しかし、体調を崩していたり、健康状態の良くない時に献血をすると健康を損なう場合があります。
 
 そこで、献血者の健康を守り、また輸血を受ける人の安全性を高めるために、輸血基準が設けられています。
 
 今回、本村で実施される献血は、400ml献血のみです。献血者の安全と健康を守るために、今回献血ができる人は18歳から69歳まで、体重は男女ともに50kg以上となります。

 献血は、決して難しくないボランティアです。はじめにお話しましたが、どんなに医学・科学が進歩した現在でも、血液を人工的に作り出すことはできません。
 
 今日もどこかで、病気や怪我などで輸血を必要としている人の尊い命が救われています。

 今日は防災の日です。ニュースでも、「今日は防災の日です。各地で防災訓練が行われました」などの話題が出てきました。
 
 今日がどうして防災の日かというと、1923年 大正12年 9月1日に起きた『関東大震災』の教訓を忘れないという意味と、この時期に多い台風への心構えの意味も含めて制定されました。暦の上では、立春から数えて210日目の日を特に『二百十日』と呼び厄日とし、ちょうど稲の開花期に台風が来たり強風が吹き荒れることに注意を促してきました。本村には影響はない様ですが、関東地方には大型台風が接近していますね。
 
 東日本大震災を境に、暮らしに対する私達の意識は大きく変わりました。節電・節水・自然の恵みの活用・先人の知恵への気づきです。
 
 何度も繰り返された天変地異の中で、先人は知恵を絞って生き抜いてきました。
そしてそれらは、私達に諺や言い伝えとして残されています。
 
 例えば、『天災は忘れた頃にやってくる』これは、地震や、台風などの雨や風による災害は、その被害の恐ろしさを忘れた頃に、再び、やってくる。だから、いつ地震や台風がやってきてもいいように、日ごろの用心を忘れてはいけないという、いましめのようです。
 
 また、宮崎県各地に伝わる言い伝え。カラスが騒ぐ、ナマズが騒ぐ、雉がしきりに鳴く、蛇が穴から出て木に登る、鼠が家の中からいなくなったりすると地震が起きると言われています。
 
 地震が起きたら竹やぶに逃げろ、これは竹やぶは根が強く、地割れなく倒れる危険性が低いからという先人の経験に基づいた言い伝えです。
 
 私の母は門川出身ですが、井戸水が枯れたら津波が来ると祖母に言われ、高台に逃げ無事だったという話を聞いたことがあります。
 
 今日の防災の日に、おじいちゃんおばあちゃん、近所の皆さんに災害に対する言い伝え、先人の知恵をお話してもらってはいかがでしょう?この様な時代だからこそ、先人の知恵が大いに役立つのではないでしょうか?

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