椎葉山仙人

ふるさとの橋物語り

松尾のシンボル的な存在の岩や戸発電所と橋・・・

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幼少のころから見慣れた風景ながら・・・
数々の思い出が詰まったこの風景を散策してみました

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百万円道路開設について椎葉村史をめくってみると・・・
県道開設で和田から開設が進んで、この区間は昭和7年2月から岩や戸―下椎葉間が着手されたと記されています

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橋の門柱には昭和8年竣工とありました
昭和11年生まれの山仙人が生まれる前に建設されたものです。
当時の設計としては斬新なデザインの橋が90年の歳月を耐えて・・・
今もそのままの威容です


当時の水力発電ブームに乗って耳川の川下から道路開設に合わせるように西郷発電所―塚原発電所―岩や戸発電所と建設されてきました

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岩や戸発電所の建設は昭和13年から17年1月に完成したと記されています
当初の発電量は25000キロワット・・ 
後に増築されて現在は50000キロワットとか

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岩や戸発電所には数え切れないほどの思い出やエピソードがあります
小学校低学年のころ 建設当初は人手による人海操業で地元の人たちが多く就業していたので その子弟たちは自由に発電所の中に入り込んで遊んだものでした

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地場産業のシイタケが最盛期のころは 発電所の地下のタービン室にかるい込んで風を利用してシイタケを乾燥させることまでやっていた記憶があります
そのシイタケを職員の人たちが電熱コンロ(当時はそう言っていた)の上で焼いて塩をつけて食べていたものでした
また 当時は地元へのサービスとして発電所の裏の倉庫に精米機を設置していたので
集落の人たちはみんな精米に行ったものでした
中学生から青年期には 発電所の中庭で時たまに芝居や映画があって唯一の娯楽で
地域に密着した存在でした
が・・・現在は無人化されて頑丈な策に囲まれていて・・・
柵の外からのぞいては昔を懐かしんでいます

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道路開設から発電所建設で当時は郵便局から警察駐在所各種商店などが立ち並んでいてにぎわったものでしたが・・・

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2011年にバイパスが開通したことで寂しい商店街になってしまいました

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24/03/25


一枚の写真が追憶させた絆

先ごろラインで仲間から古ーい1枚の写真が贈ってきました

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さて・・・ 何時頃の写真だろうか???

Rhineで情報交換しながら・・・ 

小さい子供の年齢から推測して  たしか昭和54年・1979年ごろの写真じゃがー―
45年も前の写真のようです

そこで 当時の様子を知るために 山仙人秘蔵の日記帳を引っ張り出してみることにしました

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若いころからの日記帳が戸棚の中にずっしりと積まれています

探している内に見つかりました

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1979年から3年連用の日記帳に記されていました


1979年3月22日の日記から・・・

「・・・k子が子供二人を連れて帰省した」

千葉県成田市に住んでいる末の妹が彼岸詣りかたがたの帰省でした
(子供をおんぶしている女性)

昭和39年・1964年に 父が脳梗塞で64歳で倒れて 依頼15年間の闘病生活中で諸塚の病院に入院中の父に 初めて曾孫を見せに来たものでした
(あの時に入院中の父を風呂に入れて背中を流してやったことを今でも覚えている) と・・

右の女性・・ 山仙人の2歳上の姉Sこです

スポーツマンで青年のころは砲丸投げでは県スポーツ大会まで出場したり・・・

ホノルルマラソンに出場したり、テニスに挑戦したりとスポーツウーマンでしたが・・・

この写真から10年後の1989年に乳がんに侵されて54歳で他界しました


左側の若者たち・・・

長男のМが東京農業大学の探検部に入っていたことから 山登りや川下りに明け暮れていたころで・・

友人3人を連れてきて、今日はボートで五ヶ瀬川下りをして、 明日は球磨川下りをする計画とのこと・・・
大学時代には休学までしてアマゾン川下りや海外協力隊までやらかしました

「娘よ」の歌詞ではないけれど・・・ 

「人にゃ言えない苦労もあった・・・」 時代を思い起こします

翌々日 25日午後6時40分 父が諸塚病院に入院中に他界・・・

葬式等々 当時の慌ただしい日々が書き綴ってありました




さて この日記帳・・・  人に見せるものでもなし・・・

ぼつぼつ終活で焼却しょうか??? などと思いながらも・・・

踏ん切りがつかずにいます












24/02/21


椎葉山仙人ブログの本  配本行脚 

椎葉山仙人ブログの本を村内の各小中学校に寄贈することにして 

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今日(2月9日)は大河内小学校から不土野小学校を訪問しました

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朝8時半に松尾の家を出発して桑の木原峠越で・・・

昨年の台風の爪痕も生々しい迂回路を延々と登っていけば・・・
復旧も進んではいるけれど  まだまだ・・・


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迂回路の難路を想定して軽トラで行ったのは正解でした。


大河内小学校に着いたのは10時・・・ 後期高齢者の運転と迂回路まわりで1時間30分もかかりました。
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大河内の人たちは同じ村民でありながらこんな苦労をしながら役場や農協・病院に行っているのか と思うと・・・  『能登半島地震災害にくらぶれば・・・』などと言わずに早急に復旧してほしいと感じた道中でした。

小学校では校長先生に快く対応していただき贈呈しておきました

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大河内地区の友人知人たちにも訪問して・・・「大河内に来れるのはこれが最後かも・・・」などと冗談とも本音ともとれる言葉がポロリと・・・
握手をする手にも力が入り・・ ジーンとする場面も・・・


大河内地区を済ませて次は合戦原から飯干峠を越えて小崎から不土野へ・・・

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ここも千メートル近い峠越です  

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不土野小学校へ
 ちびっ子落語で好評の子供たちが  在校生が9名とか


 ここでも校長先生 教頭先生に面会して贈呈・・・

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どこの小学校にも大谷翔平から贈られたグローブが光っていました

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桑の木原から 飯干峠 不土野峠と千メートル級の峠を越えての強行軍でしたが

昔々 村内を縦横に駆け巡っていた現役時代を思い出しながらの楽しい1日でした

米寿を迎えて思うこと

今日という日を目いっぱい楽しもう・・・

あしたは明日の風が吹くから・・・



















24/02/09


待望の椎葉山仙人ブログの本が完成しました

いつも集まるゲートボール場の蝋梅の花も開いて・・

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付近には梅の花や菜の花も咲いて 春がそこまで来ていることを知らせています

昨年の12月28日の誕生日でついに米寿を迎えました

これを記念して2010年から13年間発信してきた椎葉山仙人ブログを本にまとめてみました
表表紙
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裏表紙
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めくってみれば・・・あんなこともあった・・・こんなこともあったな――

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孫たちの成長の記録にもなったりして・・・

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光陰矢の如し・・  を実感しています

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これならパソコンやスマホを見れない人の目にも触れるかと・・・


200ページにまとめたので紙面の都合で写真も文章も、

皆さんからいただいたコメントなども もったいないけどカットせざるを得ませんでした

製本にあたっては熊本市の新進写真家 伊藤建太朗さんに編集していただいたのが良かったです

友人知人や村内の小中学校や役場・郵便局・病院・かてりえ・農協など皆さんの目に触れるところにおいてもらうつもりです

どこかで見かけたらページをめくってみて下さい

パソコンやスマホで見るなら

椎葉村ーー椎葉村民ブログーー 椎葉山仙人ーー

とタップすればブログで 本ではカットされている部分ものぞくことができます

これが締めくくり・・ではなく 新たなスタートラインととらえて踏み出して

あと12年・・・ 100歳を目指して新たなスタートです(<)!(^^)!

感想コメントをお聞かせいただければ励みになります

24/02/01


大イチョウ太鼓25周年記念with松尾 イベント開催


大イチョウ太鼓25周年記念イベントが開催されました

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今年も押し迫った29日…  地区の忘年会の様相で賑わいました

25年も経ったのか――と 始まったころを思い出すのにしばし時間がかかりました

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椎葉山仙人がブログを開始したのが2010年からだから・・・ それよりも12年も先に始めたのか・・

孫たちも入っていたので いつも追っかけマンとしてあっちこっちのイベントについていったものでした 

ちなみに仙人ブログにアップされたのは何時頃かなーと古いところからめくってみたら・・・

初登場は 2010年9月19日の「松尾中学校と公民館の合同体育大会からでした

当時の追憶から 
「・・・・集う200の若人がー・・・・
と、以前に松尾中学校校歌に唄われていたのが、今ではその10分の1にも満たない生徒数 15人に減少してしまいました。
今日はその体育大会です。
数年前から公民館との合同運動会になりました。
「突き進め!心ひとつに」をスローガンに幼児から後期高齢者まで参加しての大運動会です。 
村長さん、議長さんも参加して盛会です。
山仙人も老骨ながらいろんな競技に参加しました。
開会式に続いては[松尾大イチョウ太鼓](中学生も参加して)の演奏で始まりました。

null 当時の写真がコピーできませんでした  当時のブログをのぞいてみて下さい

競技の合間に、恒例となった郷土芸能「松尾神楽」も披露されました。
平成3年に国の重要無形民俗文化財に指定された椎葉神楽を、10年ほど前から
中学校で伝承しているものです。
生徒達から、校長先生はじめ今年赴任してきた先生達も一緒になって、畑地区神楽保存会の師匠さんたちの指導よろしく、見事な舞いっぷりでした。

null 当時の写真がコピーできませんでした

少ない生徒たちながらグランドいっぱいに駆け回っての応援です。

nul l当時の写真がコピーできませんでした

松尾の生徒たちは少ないながらも各競技で好成績を記録し、県大会にも出場する実力です。
認識不足で良く分からないのですが、最近始まった「ジャべリックスロー」という競技、(ミニやり投げみたいな感じです。)先の「ジュニアオリンピック陸上競技宮崎大会」で中3のU・M君が優勝、近く横浜市ニッサンスタジアムで開催される全国大会に出場することになったそうです。
社会人になってもこの体験と感激を忘れずにガンバレー・・・・

10/09/19

[コメント]

暑い!・暑い!という言葉が相変わらず続きます。お元気そうでなりよりです。毎回、楽しみに椎葉の様子を見ています。これから山などがきれいになる季節です。楽しみにしてます!!

10/09/20 宣・Matsuoka

2011年3月30日の岩や戸バイパス開通式で知事が出席しているイベントでも・・・ 

2011年の7月24日小丸川源流祭にも友情出演したり・・・

毎年何処かで打つ初日の出太鼓 などなど  

この25年間で大イチョウ太鼓から巣立って行った子供たちの鼓膜には今も刻み込まれていて望郷の思いを駆り立てていることでしょう
 
 
























23/12/30


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プロフィール

  • 民俗学者柳田国男が椎葉を訪問したとき最初に足を踏み入れた大イチョウの里松尾が私の地区です ボケ防止にとパソコンをはじめてようやくブログまでたどり着きました。これから椎葉の四季を紹介していきますのでよろしく・・・

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